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石川 広範
RANDECニュース, 0(27), p.6 - 7, 1995/10
EBWRの解体は、原子炉施設内の全ての放射性物質を除去し、施設を再使用することと解体技術情報を得ることを目的として、1986年から解体作業が開始された。既に、放射化構造物の解体は終了しており、放射性廃棄物の搬出、建家を無拘束解放するための放射線サーベイを行ってプロジェクトはまもなく終了する。今まで行われた解体作業の中から、放射化構造物である炉内構造物、原子炉圧力容器及び生体遮へいコンクリートの解体工法及び解体機器について紹介する。
石川 広範
RANDECニュース, 0(13), p.5 - 7, 1992/05
ドイツのニーダライヒバッハ原子力発電炉(100MWe, 重水減速、炭酸ガス冷却)の解体においては、このプロジェクトで最も興味ある炉内構造物の解体が1990年11月から遠隔操作型回転マニピュレータを用いて進められているので、その概要を紹介する。
石川 広範
RANDECニュース, 0(12), p.3 - 5, 1992/02
ベルギーのBR-3は、ヨーロッパにおいて最初に建設された加圧水型の原子炉で、電気出力10.5MWの原子力発電炉である。BR-3は、1962年から1987年まで運転され、その間、原子炉の特性の把握、運転員の養生、燃料の開発等に使用された。同発電炉は、これらの所期の目的を達成したため、ECにおける原子力施設デコミッショニング技術の研究5ヶ年計画の一環として解体が進められている。本論文では、BR-3解体プロジェクトにおける除染方法、炉内構造物の撤去等についての現状を紹介している。
石川 広範
RANDECニュース, 0(11), p.9 - 12, 1991/11
OECD/NEAの原子力施設デコミッショニング・プロジェクトに関する科学技術情報交換協力計画には、JPDR解体プロジェクトを含め20のプロジェクトが参加している。協定参加各国は、これらプロジェクトから得られた技術情報や経験等を相互に交換しあうことにより、デコミッショニング技術の向上や解体計画の円滑化に役立っている。本稿では、参加プロジェクトが開発もしくは適用している切断技術について、(1)一般機器の切断、(2)高放射化・高汚染鋼構造物の切断及び(3)コンクリート構造物の解体の3つに区分し紹介する。
富井 格三; 横田 光雄; 星 蔦雄; 森高 勇*; 清木 義弘; 塙 幸光; 井坂 興; 志知 隆弘; 上家 好三; 立花 光夫; et al.
原子力工業, 37(2), p.14 - 59, 1991/02
科学技術庁からの受託研究として、原研はこれまで開発した解体機器を使用し、放射線環境下でJPDR解体実地試験を進めている。本論文では、炉内構造物、原子炉圧力容器等の設備・機器の解体撤去、解体除染、解体廃棄物の管理、作業管理等これまでのJPDR解体実地試験を通し得られた総合的な知見や原研が進めている原子力施設のデコミッショニングに関する国際協力等について記している。なお、今回の投稿は、原子力工業の原子力施設のデコミッショニングについての特集記事として掲載するため作成されたものである。
石川 広範; 三保 紀生*
デコミッショニング技報, (4), p.2 - 16, 1991/00
米国シッピングポート原子力発電所デコミッショニング・プロジェクト(SSDP)は、米国エネルギー省(DOE)から主請負契約者として選定されたGeneral Electric Co.(GE社)により、一括撤去方式で行われ、解体跡地は規制なしに使用できる状態でDOEから土地所有者の電力会社に返還された。本稿は、SSDPに関する最終報告書、国際会議のプロシーディング、SSDPへ参加することにより得られた経験等を基に同プロジェクトについて紹介してある。
横田 光雄; 石川 広範
Nucl. Eng. Int., 0(434), p.35 - 36, 1990/09
科学技術庁からの受託研究として、原研が進めているJPDRに解体実地試験のうち、アークソー切断装置による原子炉圧力容器の解体作業についてまとめたものである。本論文では、原子炉圧力容器切断にアークソー切断を適用した理由、アークソー切断原理、アークソー切断装置の機器構成等を述べた後、実際の原子炉圧力容器の切断作業の状況について記してある。切断作業では、水封用円筒の取付作業等の準備作業、圧力容器の切断手順、切断片及び2次発生廃棄物の処分方法、圧力容器解体に係る線量当量等解体作業の全体についての概要を記してある。なお、この論文はブルッセルでの国際会議でお会いした上記雑誌社の記者の依頼を受けて作成したものである。